Scxxxers is...

散文その他。全て読み切りです。

10番目

前にも一度言ったかも知れないが、おれは部屋で音楽を聴く時は出来るだけヘッドフォンを着用するようにしている。何故かといえば簡単な話で、おれは音楽を聴く際、出来るだけ大きな音で楽しみたいのだが、それを思慮なく実行した場合、スピーカーから溢れ出す爆音により隣近所の奥様からの苦情、それが昂じて事件に発展するような羽目には陥りたくないからである。大袈裟だと思うかも知れない。しかし例えばチョコレート。チョコレートといえば、ガンや動脈硬化などの病気の原因とされる活性酸素の働きを防ぐカカオ・ポリフェノールという成分が多分に含まれる言わばちょっとした健康食品といっても差し支えのないものだが、それがメディアなどにより人々の間に浸透したのも最近のように思える。それまでは、子供を泣き止ませるためのただの甘い甘い食べ物だったのだ。時を遡れば、チョコが「悪魔の食べ物」とされて忌み嫌われたという歴史もあるくらいだ。それが今ではどこの家庭のお父さんもお母さんもお姉ちゃんも弟まで家族みんなチョコレートが大好きだ。家族円満には板チョコ1枚あればいい。本質的にチョコレートが嫌いな人間なんていないだろう。チョコレート片手に大きな爆弾を人ごみで爆発させるなんてこと思いつく筈がない。人を騙そうなんて考える筈がない。『I LOVE CHOCOLATE』と、茶色の溶けたような字体のプリントティーシャツを着た若者が街に氾濫している今、いつ物事の表裏が翻るのかは誰にも判らないのだ。
話を戻そう。近所の主婦に関しても然りだ。
もしも、隣の主婦が極端な話M16A1(アサルトライフルなどの銃器を持っていたらかなり、嫌だ。
夕食の支度の最中だったのだろうか彼女の身に付けている純白のエプロンとM16A1というミスマッチにある種の斬新さを感じている場合ではなく、魚眼レンズでそっと覗いてそんな場面に出くわせば、ドアを開けていいものか開けないでいるべきか。お隣さんだし本当は開けてあげたい。気持ちのいい笑顔で迎えてあげたい。「いいお天気ですねー」とか言いたい。でも、開ければ凶弾の餌食になること請け合いだ。あるいは、ドアを開けないにしろ居留守ばればれで、両者の間に気まずい空気は残るわけで(これからの近所付き合いなど)、しかもおれが爆音に耐えうるほどの健康体であることもばれているので、やっぱり出ないわけにはいかないのであり、そうなると覚悟して玄関の扉を開けて、後はもう連続して飛んでくる弾をなんとかよけきるしかないわけだ
多分、相手はおれに「すんません」を言う間も与えず、間髪いれずに銃撃するだろう。なぜなら、彼女もせっかく手に入れたM16A1をどこかで使用するチャンスを今か今かと待っていた筈だからだ。100パーセント予測だが、彼女は、結婚15年目位の夫との仲も隙間風が吹き始め些細なことですぐ諍いに発展して気苦労が耐えない上、現在中学2年生位の息子は年々生意気になって行き、最近は碌に口も聞いて貰えない、週一度位で通っているカルチャースクールも飽き気味だ。出会い系などで知り合った年下の彼からは一度会ったきり連絡がとれない。そんなこんなの鬱憤を晴らすことも出来ず、彼女はどこかで手に入れたM16A1をこっそり磨いている。その時に、爆音という名のゴーの合図。なにがなんでもおれを仕留めようと躍起になるに違いない。熊を追うマタギのように。それはもうすごい形相で!(ここでこのライフルが彼女にとっての「性衝動」の象徴だ、と言ってしまうのは簡単だ。だがそれを言及してどうなるというんだ?誰が得をすると言うのだろう?)。
と、いうことで、何度も意見を変えて申し訳ないが、矢張り、玄関の扉は開けないでおく。辞めておこう。とはいえ相手はM16A1を手に入れているほどだ。ついでに特殊工作の訓練も受けているに違いない。どれだけ、厳重に戸締りをしていても(鍵みっつとか!)、その主婦は巧妙な手口で入り込みしかも、おれが、映画『アリゲーター』(わにの映画)をビデオで鑑賞していたりする時や、あるいはトイレで瞑想のようなことをしてマントラとかを唱えていたりする時にわざわざ侵入してきて、おもむろにおれの頭に銃口を突きつけて、言い残したことはないか?と訊くだろう。おれは言い残したことはないが最期に煙草を吸いたいのだ、と言う。
そこでおれは、諦念の極みで紫煙を燻らせながら生まれて初めて自分というものについて考えを巡らすのだ。BGMには先ほど爆音で聴いていたアイルランド人のバンドが奏でるノイズロックが頭の中で鳴り響く。おれは幼い頃から音楽を聴くことが好きなのだった。音楽を聴いていると、頗る心が豊かになるように思えるからだ。歳を重ねるに連れて様々なジャンルの音楽に触れていった。それらは体の中に蓄積されていずれ更なる何かに昇華すると信じて疑わなかった。だが、この状況になって初めて判ったことがある。そんなものは幻想なのだと。音楽ってやつはテレビから垂れ流されるアイドルポップだけで充分だと!若者たちに伝えたい。システムコンポなんてベランダから投げ捨てろと!ついでに、その何度も読み返した古典文学も、宝物のように大事にしているあの名作映画のDVDボックスも纏めてダストボックスに放り込め、と!「個性」なんて言葉は糞だ。色々な言い訳を並べ立てながらいくらあのケムリを吸い込んだところでおまえは鳥にはなれはしないのだ、と!!
そんな様々な思念に耽る余り長くなり過ぎた煙草の灰が床に落ちるその瞬間、白エプロンの主婦はM16A1で(わざわざスコープを覗いて)おれの脳天を撃ち抜くのだろう。おれの鮮やかな色をした脳みそが便器を汚すだろう。

おれは部屋で音楽を聴く時は出来るだけヘッドフォンを着用するようにしている。それで耳塞ぎながら今日もサイケデリックなお話を書いた。 fin

9番目

あと時々お店でミンチカツをメンチカツって表記してるとこってあるやん?ミンチカツは普通に言えるねんけどメンチカツって言う時めちゃくちゃ恥ずかしくなる。ミをメに変えただけでこんなにも言えんかっていう位ゆわれへん。なんでやろーなこれ。
今まで数々の卑猥な言葉を人様より積極的に発してきたという確固たる自負があるだけに我ながら尚更不可解なわけやけど。
いろいろなんでか考えてみてんけど結局、キアヌ・リーブスが仮想現実で悪者と死闘を繰り広げる映画の「MATRIX」を日本人がネイティブな発音で「この前メイトリクス観直したらさー」とかゆーのを聞いてこちらが気恥しくなる感覚、イギリスのロックバンド「oasisをオエイシスと発音してみてなんだかひとり悦に入ってるやつを見てこちらが居心地悪くなる感じ、なんかそーゆーのと似てるんかもなって。きっとメンチカツって発音良すぎなんちゃう?
なんかもうまじもんな雰囲気が出過ぎるんやと思うねん。
ほんで「あーコロッケは売り切れなんだー。じゃーメンチカツください」なんていうとなんか「なにこいつかっこつけてんねん」とか思われそうで怖いっていうのが根底にあって「いやいやぼくべつにそんなん揚げものとかでかっこつけませんやん(恥)」って気持ちになるんやな。
だから多分それゆーたら顔真っ赤になること請け合いやからいくらポップにメンチカツと表示されていてもおれはしれっとミンチカツってゆーねんけどさ。
即ちこれはどーゆーことかとゆーとやで、
ボンテージを着たえらく太ったハードエスの女に「ほらブタやろう、これはなんだ?」と御箸に挟まれたミンチカツを突き付けられて「え、ミンチカツですよね…」と言うやいなや女王様がニヤリとほほ笑みを浮かべて「は?ミンチカツじゃないだろ。メ・ン・チ・カ・ツだろ。さあ、言ってみな、ほら!」と言われながら無理やりそらもう揚げたての熱っついメンチカツを口に押し込まれてふがふがしながら「!…ふぇんしかふでふ」なんていわされて女王に「なに言ってんのかわからないよ」とか言われておれはおれであんたがミンチカツを口に押し込むからやんとか思いながらも「め、めんちかつです…」、「…びしょびしょのメンチカツです」とか涙目で言いながらオルガズムに達するというプレイが成立するわけであってそう思うと感慨深い。本来なら相反するはずの食欲と性欲が融合して快楽をもたらしている。他にも、発音すると恥ずかしい食べ物の名称っていっぱいあるよな。その代表格として有名なんが一応迷惑かかったらあかんから名前は伏せとくけどLソンのからあげクン。おれ絶対ゆわれへんもん。めちゃくちゃ言う時、自然と眉間に皺よってぶっきらぼうな口調で「ええと、それと…からあげ…んモゴモゴ」ってなるもんな。ほんまは店員に言いたいねんで?なんで揚げもんクン付けやねん・・・でもゆーたら多分Lソンの店員さんびっくりしはるから言わへんけどな。だからそのせいであんまり頼まんへんもんな。でもまあどうしても日々を暮らしてたらLソンのからあげクンを購入せなあかん状況に直面するときってあるやん?どうしてもっていうときは致し方ないそんな時は指差して「これください(照)」ってなるよね。ほんで店員勘違いして横のフランクフルト出てくるっていう。 fin

8番目

今、また東京に居てて、今回は高速バスに乗ってこっち来たんやけど、
この高速バスってのが値段が安いだけあってめちゃくちゃ席が狭くて座り心地が最悪。そのくせ車体が真っ赤で、なにやっすいくせに情熱的なレッドやねんもっとひっそりしてます感を出せよ濃紺にしろ濃紺。
この前バス予約するときにちらっとネットで見たらパトカーに追い掛けられながら高速爆走してたとか、運転手が全員黒人やとかわけのわからん評判がたってたのでちょっとドキドキしながら乗車した。どうせあれやろそんなバスやからきっと客層も最低なんやろーなとか不安やったんやけど乗客はわりと普通でまあ、右前のひとが乗ってからひたすらモンキーバナナ食べ続けてるくらい。べつにええやんヘルシーやん。あと通路挟んで右側がカップルやねんけど一時間くらいは大人しくしててんけどそのうちなんかいちゃつきだしてしまいには寒くもないのに毛布かけてなんかごそごそしてる。ここでまたおれ怒ると思うやろ?
はあああああ?このアホカップル公衆の面前でなにしてんねん!こっちは寝たふりしてるけどしっかり目撃しとるんじゃい!とかゆー思てんねやろ?いやいや。おれはそんなことでは怒りませんから。心に余裕を持たなあかんよね。しまいには男の膝に掛かった毛布ん中に女頭つっこみだしたりしてかなりエキサイトしてる模様やけど。おれは意外と大丈夫。ちょっとマイケル・ダグラスに病院紹介してもらえよ、って思うくらい。ただ途中サービスエリアで『果汁グミ』買ってバス戻ったら真隣のくたびれたスーツ着たおっさんが既に『果汁グミ』食ってたとゆーアクシデントにみまわれたけどな。自分のことは思いっきり棚上げしてゆわしてもらうと、おまえなんでええ年してチョイスしたお菓子が『果汁グミ』やねん。店いろいろ食べるもんあったやろ?おっさんやったらスルメとかサラミとか柿の種とかそーゆー大人の食べ物がなんぼでもあんのになんで可愛らしいグミやねん。しかもたち悪いことに、おれピーチ味買ってんけどここで逆におっさんもおんなじ味やったらまだええで?中途半端におっさんグレープ味買ってたからな。こんなもんなんかの拍子にひとつ交換みたいな雰囲気になってもいややん?おひとつどーですか、とか一番避けたい事態やん?結局、おっさんのせいでずっとポケットの中で果汁グミ握りしめてた。
幸先悪いスタートだぜ。なんて思いながらみっともない赤い箱でおれはたくさんの悲壮感と少しのユーモアと一緒に運ばれて行ったんだ(そう、これはドナドナへのオマージュ)。
大嫌いな東京。
意志に反してバスは東へ。
このバスを何かのメタファーになぞらえることは造作ないことだ。
だけれどおれはそんな安易なことはしない。 fin

7番目

たまに時間ないときとか立ち食い蕎麦屋行くねんけど。 
蕎麦屋行ったらさきつね蕎麦とか肉蕎麦とかてんぷら蕎麦とかあるけどさたまーにコロッケ蕎麦ってあるやん?まあ、ほんまそのままかけ蕎麦の中にシンプルなコロッケが入ってるってだけのもんやねんけど19,20くらいの時にめちゃくちゃはまってさ。なんか当時、いつも降りる駅にある立ち食い蕎麦屋でそれもなんか小汚い店で小汚いおっさんがつくってるようなコロッケ蕎麦なんやけど、その時はそれがめちゃくちゃうまくて。多い時で週に2、3回は行ってたんちゃうかな。入ってるコロッケもあれやから揚げてから最低2時間はたってるやろーっていうような。レンジすらかけてないような冷えたコロッケやで?まあ、汁であったまるからええやろくらいの感じでそのままいれとんねん。普通やったらちょっと待ておっさんコロッケ冷えとるがな!やん?でもそれも何故か結果的に吉と出てもてて、うまいから文句言えんかったしな。うまいと言うかなそういう処やからもちろん蕎麦もそんなええのん使ってないし、コロッケも多分冷凍食品をわっるい油で揚げてみましたみたいなんでめちゃくちゃチープな感じやねん。多分、そんなうまないねん。でも下品な素材と下品な素材を下品なおっさんが適当につくったら科学反応おこしよった!みたいなん。 
で、 
そっからもう随分コロッケ蕎麦からは遠ざかっててふと思い出してさ最近蕎麦屋でコロッケ蕎麦あるとこ見つけては入るねんけどあんまり売れへんからか知らんけどほかの店は全然あかんな。なんもわかってない。コロッケもちょっといいのんとか使ったりして揚げたてとか入れちゃったりして。ちゃうねんちゃうねんみんなちゃんとしすぎやから。片手間感が足りひん。でもそんなんとは別に酷かったんが、大阪駅の立ち食い蕎麦屋で「コロッケ蕎麦」ってあったから、行ってみようって思って入って食べてんけどあそこはだいぶむかついた。なんと蕎麦に入ってたコロッケがカレーコロッケやったからな。詐欺ですわ。確実に「カレーコロッケ蕎麦」やん!そらコロッケ蕎麦そんなに需要ないかもしらんけどそれはあかんやろ。どんだけコロッケ蕎麦に対して愛情ないねん。興味無さ過ぎやろ。そら適当につくったらいいとはゆーたで?でも種類変えてどーすんねん。あとどこか忘れたけど高速のパーキングの蕎麦屋では鳴門金時でつくったコロッケ入ってたしな。さつまいも蕎麦に入れてどーすねん(笑) 
また別の蕎麦屋ではコロッケ蕎麦はなかってんけどコロッケ定食つって蕎麦とコロッケと付け合わせにサラダそれとご飯みたいな感じのがあったから別にコロッケだけ蕎麦に入れたらええやんって頼んで定食来たら、なんや知らん既にコロッケにたっぷりソースかかってあんねん。なにしてくれてんねんんん!!!! 
まあいろいろゆーたけど、どこ行っても美味しいとこないし最近よくよく思い返せば、ほんまにあの昔食ってたコロッケ蕎麦って果たして美味しかったんか?くらいに思ってきてるからな。だって、小汚い店で小汚いおっさんが小汚い器に美味しくない麺と美味しくないカピカピのコロッケ入れて出されるわけやもんな。おいしい要素ゼロやん。 なんか今更気持ち悪なってきた。 

大人になるって知らなくてもいいことを知るって、ことなのかなあ... 。   fin

6番目

世の中は性的なもので溢れ返っている。どの雑誌を見ても数ページ開いただけで露骨な性を表現しているし、少し外を歩くと必ずといっていいほどあらゆる場所にエロティシズムはその姿を露わにしている。洋服屋で売っている服は全て肌を隠すためではなく肌を露出するためのものだし、自動販売機に並ぶ飲料水は各々に性を主張している。この前も、スーパーマーケットにグラニュー糖を買いに1キロ足らずの道を歩いたのだが、注意していると190もの性的なものにぶつかった。だからといって別段性を否定するようなことをいうつもりもない。性が犯罪を促進させるという意見は大いにあるが、逆の場合もあるということも言えるだろう。エロティシズムに拠って文明が発達するという事実もある。それでは、お前は何が言いたいのだと問われれば、いや、別に何も言いたくないその事実だけを列挙してそしてしっかり認識して行きたいのだ。云々。
カワサキ氏がそんな話をしている時だったと思う。蜂が彼を刺したのは。カワサキ氏は熱弁をふるう余りかなり感情的になっていた。喫茶店Aの中央の席で僕とカワサキ氏が打ち合わせをしている時だった。カワサキ氏は爪楊枝を入れる容器を「性的なもの」に、水の入ったコップを「性的ではないもの」に見立てて、更に、砂糖を入れる容器を「人」と例えて机の上を右往左往させて前述したようなことを解かり易く解説していたのだった。不幸だったのは、「スーパーマーケット」に見立てたものが、前の客の忘れて行ったと思われていた精巧な作りのブローチのようなものを用いたことだった。実は、それがどこからか迷い込んできた鋼のような強靭な針を持つ殺人蜂だったことを、おれもカワサキ氏も話に夢中になっていて、全く気付かなかったのだ。カワサキ氏はおもむろにそして素早くスーパーマーケット(ブローチだと思われていた大きな蜂)を軽く掴むと机の端に移動させた。
「ここにスーパーがあるとするでしょ?グラニュー糖が安かったからさー買いに行ったのよ!」と、言っていた時には蜂(スーパーマーケット)は、なすがままにされていた。
次の瞬間、カワサキ氏は表情をさっと変えて自らの手元を見た。今思えば彼はその時、その物体にブローチにはない生き物の感触を察知したに違いない。そして、刺されたのだろう彼が苦悶の表情を浮かべた刹那、手元から鋼のような強靭な針を持つ蜂は凄まじい羽音を響かせて消えてしまったのだった。カワサキ氏は下を向いてなにやらうめき声を小さく上げはしたもののその後も話を止めることはしなかった。額に汗を浮かべて刺された右手の指を左手で押さえつけながら蜂に刺された件に関しては一切触れることなく、話題を「性の話」から「飼っているウサギ」の話に自然な流れでシフトチェンジする手腕は見事だった。
(おれはその勇姿に若干感動しながらも、ある出来事について思い出していたのだった。あれは丁度2週間前、おれが苺をあしらったショートケーキを食べた後、それを載せていた皿を洗っている時だった。その掌の大きさほどの白い皿をふかふかのスポンジで洗っている時、突然に皿は真二つに割れてしまった。さほど力を入れて擦っていたわけではない。勿論、落としてもいない。なのに、皿は当たり前のように割れてしまった。その時、例の予感を感じたのだった。よくTVで観るアレだ。あの下駄の鼻緒が切れたらげんが悪いというアレだと。それから何も不幸は訪れなかった。一度、ビデオデッキの中でテープが無茶苦茶に絡まりレンタルビデオが出て来なくなったという惨事があったのだがそれは皿の割れた件とは無関係だろう。そして、そんな出来事を忘れかけていたその時、カワサキ氏が蜂に刺されたのだった!) fin 

5番目

今でこそこんないろいろアレな感じになってるねんけど幼少の頃はおれめちゃくちゃ可愛いかってんやんか。3歳くらいんとき。あんまりというかほっとんど覚えてなんやけど写真見たらほんま可愛かった。髪の毛くりんくりんでお目目くりくりさせてきっと周りのひとたちを魅了してたんやと思う。母親にもやたらと「あんたは男前やー」「あんたほんま綺麗な髪してるなー」とか言われてたしな。あと多分歩き方がめちゃくちゃかわいかったんやと思うでなぜか晴れの日やのに長靴なんか履いちゃってなんかとととととととって歩いてたんやろきっと、道行く疲れた大人たちも立ち止り思わず笑みを浮かべてしまうほど恐ろしくかわいい歩き方。 すごい勢いでかわいかったんやろうと推測できる。 
小学校一年か二年の時だったと思うねんけど、当時こくごの時間に絵本を作成するという課題があってさ既存の物語でもええから自分で絵を描いてそれに文章をつけて提出してくださいみたいなやつ。自分で考えたお話でもええってゆーからおれは自分の親の仇を討つために冒険に出る鼠ってのを書こうと思ってさ、ただ至ってシンプルでなんの捻りもない粗筋やしこれだけで提出するんもなーって思っててなんかないかなって考えててんけど、その時天啓に導かれるように閃いた。ラストシーンボロボロになりながら耳とかしっぽとかとれたりしながら親の仇のボス猫の脳天につまようじを突き差す場面でそこの猫の末期の叫びの字「ぎゃああ!」だけめちゃくちゃ大きく書いてその猫の苦しみを、猫は猫でそこにただ鼠があっただけで別段悪意もなくただただ本能で行った行為の結果の報復に対する壮絶さ切なさを、その紙からはみ出すほどの大きな「ぎゃああ!」に込めてみた。これは正直当時のおれにしてみればなかなかのアイデアやと思ったよ。今でもなんか良い文章かけたらほんまうきうきした気持ちになってちょっとしたイライラもほんまちっぽけなことのように思えてくるしなんもいらん、かわいいあの子に一緒に部屋でDVD見ようとか誘われてはふはふなってた気持ちもするっと抜けてなんか特別な存在になったような気がしてきてゴージャスな感じがしてきて反面すごく清廉でストイックな心持ちに包まれてどしゃぶりの中、雨に濡れた子犬をそっと抱きあげるような優しさでキャンセルできたり、小粋に隣の部屋のやつのためにとびっきりのルッコラたっぷりピッツァなんかを注文してやったりするんやけどやっぱ当時もそれに似たような感覚があったんやと思う。ほんで発表の段になって女教師が良く出来た何作品かを発表するって言い出して、何点か紹介したあと最後にクラスの中でおれだけがオリジナルの作品やったらしくそれをみんなの前で誉めてくれて周りのやつもなんか色めきだしてやっぱちょっと気持ちよかってそれはええねんけどそのあと女教師、 
「ただこの絵本は字がすごく汚くて、大きな文字のぎゃあ!の部分しか読めませんでした^^^」 
って、にこにこしながらゆーた。 

羨望が嘲笑に変わる瞬間。 
称賛が中傷に変わる瞬間。 
白が黒に変わる瞬間。 
その時おれはその「瞬間」をはっきりと、見た。 
悔しさとか羞恥とかをないまぜにしながらおれは固まってた。 
この時おれの頭の中には二つの思いがしゅるしゅると頭の中を行ったり来たりしていた。ひとつはこの女教師は一体なにが目的なんやろう?とゆーことともうひとつはそれまでの日常生活に於いての朧気やった不可解さ。アクションもののハリウッド映画などをテレビで見てて主人公は様々な困難を切り抜けて巨悪を倒してハッピーエンドになるねんけどちょっとまてよそれはほんまにハッピーなんか?自分の仲間や家族が殺されてるのに仇を討っただけで最後はなんか全て問題ありませんでしたーみたいな雰囲気でエンドロールとかおかしいやろと。 
主人公のネズミは親ネズミを殺されて自分も負傷しながらボス猫を倒してニコニコ終わる。そんなわけないやろ?その時気付いた、この糞女教師のくだりも含めての一個のお話なんやと。こういった終わりこそが相応しかったんやなーって。 
悔しさとか羞恥とかをないまぜにしながら死んでなかった巨大なボス猫を前におれは固まってた。 
そして、ここで初めて言えるんよな。
「おしまい」 って 。

おしまい

4番目

小学校3年の時に同じクラスの山添が朝の会で教師が教壇で話をしているにも関わらずひとりふざけて前の席の女子にちょっかいを出したり、あほみたいに騒いだりしてたら教師の逆鱗に触れてしまい立たされてめちゃくちゃ怒られていたことを作文の時間に原稿用紙に克明かつ緻密そして無駄な心理描写の一切を省いた文章を洟垂らしながらほぼひらがなで綴ったら、神戸市の児童文集「はぐるま」に入選してしまい、でもしかし教師の検閲に依って山添君→Y君と修正されてリアリティに欠けてしまった。まあそれで個人のプライバシーは守られたわけやけど、山添も山添であんなこと書かれてるわけやから
おれめちゃくちゃはずかしいやんけ(怒)この先世間様にどう顔合わせしたらええねや!
とかゆーて怒るんやったらまだわかるで?そうだろうそうだろう恥ずかしいだろうおれもまさか思いつきだけで書いた駄文がこんなことになるとは思わなかった。申し訳ない。いや、わたしは決して君を告発したいわけではないのだ悪気はないのだよこれも一種の愛情表現だと考えて頂いて結構なんだよ。ははは。とか言い訳も考えてたのに、
山添あほやから、
ちょっと聞ーてや!おれ神戸市の本に載ってん(ニカッ)
なんて、あろうことか自慢げに自分の母親に話したらしく文集を見たやつの母親は激怒、ぶち切れておれの家に電話してきてうちの母親に
ひとんちの子供の不手際ネタにして文集入選するとかあんたんとこのガキどーゆー了見しとんねんあんたんとこどんな育て方してんねんえ!
まあもう随分昔の話なので記憶は曖昧こんな言い回しではなかったとは思うがきっとこういったニュアンスのことを言っていたのだろう。
うちの母親の言い分としては、
書いたのは確かにうちの子だが作文を見た感じ別に他人の失態をあげつらい嘲笑うような悪意はないと判断できる。だからこそ入選したのだし大体、選んだのは教師だしその教師も最低限の人権に配慮して名前もイニシャルに替えて誰だかわからないはずだ。わたしや息子が糾弾される謂われはない。
ということを始終一巻して主張して一歩も譲らない。おれはそのやりとりを聞きながら名前をイニシャルに替えられたことは不本意だという思い(おれの作品を改竄されたという確固たる事実!)は捨てきれないながらも、電話の間中、耳をそばだてながらえらいことしてもたと顔面蒼白で絶望感にブルブルと震えながら部屋の隅っこで丸まっていたのをよく覚えている。
電話が終わってからも暫くぶるぶるは止まらなかったんだっけ。 fin