Scxxxers is...

散文その他。全て読み切りです。

13番目

マキノはただ一人暮らしのアパートにマユズミが来るというので、吃驚させようと思いつき、自分は隠れて部屋の中を無人のように装って(勿論、部屋のカギは開けていたが)、部屋に入ってきたところを罵声を浴びせてマユズミを混乱させようとして、それは見事に上手くいった。いや、上手く行き過ぎたというべきかも知れない。マユズミは吃驚しすぎて、一瞬、畳の上でじたばたした後足を滑らせて、転倒、その際、ちゃぶ台の角に頭部を激突させて、マキノが今まで聞いたどんな音よりもシュールな衝撃音をたてて、頭を抱え込んでのたうち回った。何かわけの分からないことを叫びながら、そして、頭部からは噴水のように血を噴き出しながら部屋の中を所狭しとごろごろ転げ回っている。マキノは焦った。ちょっとした出来心がこのような事態になり、異常なほどの焦燥感が彼を襲い、身動きが取れなくなっていた。マキノは唯、少しウィットに富んだ日常をマユズミと共に分かち合いたかっただけなのだ。一緒に過ごして来た唯一親友と呼べる彼とちょっとした悪戯で笑い合いたかったのだ。そして、その後、缶ビールを冷蔵庫から出して一つをマユズミに放る。好きな映画や音楽の話を夜が明けるまで語り明かす筈だった。いつもと何の変わりもなく・・・。マキノは自分の体が脱力して行くのを感じた。それに反して、マキノの思考はあらぬ方向へ駆け抜けていく。
彼は高校時代、バスケットボール部に所属していた。長身ではなかったものの、その俊足を買われ、1年の秋にはレギュラー入りすることが出来た。彼はますます自分の全ての情熱をバスケットボールに傾けた。彼は誰よりもバスケットボール、そして、バスケットボール部を愛していた。夜はバスケットボールを抱えて眠る生活。勿論、順調な道のりではなかった。地獄のような練習。そして、超えられない壁。幾度も彼は挫けそうになった。そんな時励ましあった仲間たち。支えてくれたガールフレンド。そして、コーチの存在。マキノはコーチに絶大な信頼を置いていた。コーチは、部員たちをいつだって、「選手」としてだけではなく、「人間」として扱ってくれた。時には竹刀で骨が折れるほど殴られることや用具置き場に一日中閉じ込められたこともあった。全裸で校庭を走らされたこともあった。しかし、それは愛情に溢れた仕置きなのだと、マキノは断言できる。コーチの人格は尊敬に値するのだ、と。そして、コーチは自分が学生時代、成し得なかったインターハイ出場をマキノたちに託していたのだ。マキノはその夢をなんとしてでも成し遂げたかった。自分のため、仲間のため、そして、コーチのために・・・。
残念ながら高校最後の試合である地区大会を二回戦で負けてしまった後コーチはマキノら3年生のみを集めた。そこにはあの厳しく鋭い目を光らせているコーチはどこにもいなかった。とても穏やかで控えめな笑顔を湛えながら、一言だけ呟くように言った。「3年間おつかれさん。そして、ありがとう」。
コーチが日頃、口癖のように言っていた言葉が頭をよぎる。それはバスケットボールを辞めた今でも深く心に残る。
『夢を高く持て』
『自らと闘え』
『失敗を恐れるな』
夢を高く持て!(現代の若者の大半はハードルを出来るだけ低くしてそれを乗り越えて満足した気になっている。いや、目標さえも持たずに無気力な日々を暮らしている若者も数多い。子供の頃に見たあの「夢」をもう一度思い出して欲しい。そして、その燃えたぎる情熱を燃料にして今しかない時間を駆け抜けて頂きたい!!)
マキノは我に帰った。自分の部屋を見渡す。混沌とした空間。壁に貼ってある×××××のポスターがマユズミの血で汚れているのが目に入った。しかし、そんな状況は関係なかった。彼は自分の体に少しずつ精気がみなぎるのを感じた。
自らと闘え!(人生に於いての本当の敵は目の前のライバルでもましてや明日の雨予報でもない。それは自分自身なのだ。自らを甘やかすことなく日頃の鍛錬に励み更に高みを目指す。その過程でも様々な誘惑に出くわすことだろう。しかし、それらの誘惑に打ち勝つことこそが人生の本質だと断言してもいい。自らを極限にまで追い詰めても成果は僅かかも知れない。だがその少しの成果が花を咲かす時、それは未だ見たことのない程の美麗な輝きを放つだろう!!)
それは天啓のようにマキノの頭に響き渡る。口の中で小さく「自らと闘え」と呟いてみる。途端に激しい電流が彼の脊髄を上から貫いて行く。その眼差しはどこまでも力強い。
失敗を恐れるな!(確かに目指す所を高く設定すればしくじる可能性もそれに連れて高くなる。でもそれを恐れていては駄目だ。失敗の積み重ねによりかの偉人たちも大きく羽ばたいて行った。何度も転べ。何度も這いつくばれ。その時、「諦めない」人間こそ本当の成長の意味を知る!!)
マキノにはもう怖いものは何もなかった。威風堂々と、彼は力強い視線をゆっくりとマユズミに向けた。
散らばるCDケース。破ける襖。宙を舞うスーパーの安売り広告。倒れた水槽から逃げ出す亀。意味不明に鳴り続ける目覚まし時計。その中で相変わらず、マユズミは収集不可能なほどに出血して、部屋の中のものを(ちゃぶ台とか)、戦車のように打ち倒しながら、雄叫びを上げている。惨劇の館と呼ぶに相応しい凄惨な光景が広がっていた。マキノは今の一連の回想がそして一連の教訓が、この状況とは一切関係のなかったことに気が付いた。
マユズミが洗濯したての靴下を巻き込みながら転げ回っている。 fin